シネマライフキャリア - Cinema Life Career -

映画やドラマをメインにコンテンツの感想記事と生き方やキャリアを考える上で参考になりそうな記事を書いていきます。

映画『天外者』感想:誰もが夢を見ることができる未来のために

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時代を超え、志は未来に生き続ける。

天外者と呼ばれた五代友厚の生き様が、坂本龍馬伊藤博文岩崎弥太郎などの名だたる歴史上の人物やそれ以外の彼を取り巻く人たちとの関係性とともに描かれる。
天外者とは、規格外に度量の大きい、凄まじい才能を意味する言葉。

並々ならぬ痛みを伴ってでも、高い志のために奮闘していく彼の生き様と各々との関係性の素晴らしさに感服。
五代友厚の一挙手一投足を熱演する三浦春馬さんに心震えて涙が止まらず、心に残し続けたい作品となった。

何かを成し遂げるには何かを犠牲にしないといけなくて、それが敵を生み命を狙われる可能性すらもある。
何かを変えると、それによって恩恵を受ける人がいれば、逆に危害を受ける人も出てくる。
それが多くの人を巻き込む大きなことであればあるほど、良くも悪くもの二面性があることからは逃れられない。
それでも決断しないと何も前に進まない。
まさに今に通ずることについても色々と考えさせられた。本当に今観るべき映画!

外から何かを言うことは幾らでもできるけど、大きな一つの決断をするのは、想像し得ないほどの覚悟がいることであるのは本作を観るとよくわかる。
それによって失われるものもあるから。

何かを行動に移すとき、根底に何があるのかが重要。
五代友厚は、地位でも、名誉でも、お金でもなく、目的を大事にし、その目的も私利私欲ではなく、誰もが夢を見ることができる日本、男女関係なく平等に自由に職業を選択できる社会を目指した。
根底にこれらがあるから素晴らしい。

そして、彼はどこまでも世界と未来を見ていた。
彼自身が武士でありながら武士をなくすことや薩摩藩に属しながら他の藩の人たちと関わり続けることは、ある人にとっては裏切り行為に他ならない。
それによって、藩の中に敵をたくさん作ってしまっていたのだ。

でも彼はまず世界を見ることで、武士が地位を高めていると国内での争いが絶えず、他国の圧倒的な力で支配される可能性があることを理解していた。

国内で争っている場合ではないからこそ、志を共にする人は藩とか関係なく関わり合い、日本全体で力を合わせる必要がある中、士農工商で一番地位の低かった「商い」に目を向けたのも素晴らしい功績だった。

今まで蔓延っていた士農工商の制度の中で、商いを日本の職業の中心にしていくのは並大抵ではなかっただろうし、鎖国をしていた日本が海外を見据えた上での国を作ることもなかなか理解されなかったに違いない。

でもそれを頭で思ってるだけでなく、自らの身を切りながら動いて形にするところまでをやり切ったのが、また素晴らしく賞賛に値すると感じた。

そこまでの痛みを伴わないと改革を成し得ることは難しく、決して天外者と言われたほどの才能の持ち主であっただけでなく、ただならぬ努力と覚悟の上に五代友厚という人間がいたことがよくわかった作品であった。

もちろんその裏には彼を支えた豊子さんや原動力となっていたはるさんの存在があって、その存在の大切さや大きさは忘れてはならないだろう。

そして、そんな五代友厚三浦春馬さんがとてもよく重なる。
彼が亡くなってから、彼のことを調べるようになって、いかに彼が素晴らしく賞賛に値する人だったのかをより強く感じるようになった。

むしろ彼の場合は、五代友厚にはあまりなかっただろう謙虚さや誰とでも打ち解けられるコミュニケーション力と誰からも愛される人間力の高さ、さらに分け隔てなく誰とでも同じ目線で関わろうとする人間性など、色んな素晴らしい面を感じられる。

正直彼はまだまだ生き続けたかったんじゃないかとも思うし、成し遂げたい目的があったんじゃないかとも思うし、もし仮に何かを抱えていて役者として生きられなくなったとしても、絶対他のことでも生きていけたと思うから、そんな彼が亡くなることには、相当な何かがあったんじゃないかと今になっても思わざるを得ないし、その思いは日に日に増していく。

そして、彼は絶対にこの世界に、日本に必要な存在であるとも同時に思った。
そこまでファンであったわけではなかったけど、それでも彼の生き様や人間性、人としての器の大きさは本気で尊敬に値するものだと思っています。

そんな重なりが五代友厚を演じる三浦春馬さんに見えて、その一挙手一投足に彼が生きてたらをイメージしてしまうからこそ、より心震えて沁み渡ってきて、涙が止まらなかったんだと思う。

正直自分が三浦春馬さんについて、ここまで深く長く考えることになるとは思っていなかった。
でも調べて彼のことを知れば知るほど、名残惜しく感じる自分がいる。
そんな彼もまさに「天外者」だったと思います。

彼のことはこれからも心に残し続けて生きたいと思います。

P.S.
『天外者』に関わる全員の三浦春馬さんへの愛や作品への愛、そして和気藹々と色んな発信をしている姿が個人的にはとても嬉しいです。
本当に楽しい現場だったんだろうなと、節々から感じる。

映画『本気のしるし』感想:人間の奥底に眠る想定外に揺さぶられる大傑作

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ふたりなら堕ちても


超絶大傑作。2020年ベストってだけでなく、オールタイムベストにまでなりそう。
とにかく凄すぎる。圧巻。濃すぎて、深すぎて、おもしろすぎた。

好きか嫌いかとか信じるか疑うかとか、そういう二元論で語ることができない人間の奥底に眠る想定外なものに揺さぶられ、惹きつけられ、翻弄されていく232分。
常識からは考えられない行動だらけだが、物凄く魅了されて徐々に感情移入し、そこに共感までもを覚えていき、この世界から逃げられない。そしてそれが快感。
もちろん倫理的に外れていることが苛々するという次元なんか、軽々しく超えていく説得力が宿ってる。

考え得る色んな概念が覆されていって、いかに自分が物事を世間一般や常識と照らし合わせながら見ていたかを思い知らされる。
そういうものでは決して語ることのできない人間が本作には描かれていた。
すぐに性描写や喧嘩、仲違いに落とし込まない点も好印象。

日々をこなすように生きながら、誰にでも優しさを見せられ、つい期待させてしまう辻。
仕事もできるし優秀で周りからも信頼され、女性からもよく好かれる。
ただし、自らの感情はほとんど死滅しているように見えて、何を考えているのかがわからない。

そんな辻は、世間からの見え方をどうしても気にしてしまったり、でもどんな人にも深くまで関わっていくことはせずに、人間関係に見えない壁を作ってるようだ。
生きることにもやもやしている感じもする。

そこで出会ったのが無防備で、天真爛漫で、自由奔放な無意識に人を惹きつけ、放っておけない存在の象徴である浮世だった。

自らの意思次第で切ろうと思えばいつでも切れる2人の関係は、恋愛とも友情とも割り切った関係とも言えずに、それでも離れられない不思議な関係へと発展していく。

辻は他の女性とも関係を持っていて、それも当人からするとそうでないと思っていても、相手にとっては恋愛や結婚を考える関係として捉えられている。

世間一般(世論)から見る倫理観に従って取捨選択をするとしたら、絶対に辻と浮世が重なることなんてないはずだ。
でもそれが全てなんてことはない。
人は自分の望んでいるわけではない無難な道ではなく、刺激的な道に引っ張られることがあるのではないだろうか。

決して表に出ることのないそのような思いは、放っておけないというそれっぽい理由を作りながら、徐々になくては生きた心地のしない存在として拍車がかかっていく。

今まで選択から目を背けて流されながら生きてきた辻が、浮世のことになると何でも気になりすぐに行動に移していく。
そして、あらゆる人を敵に回し、地獄に堕ちることを予想できたとしても、今まで積み重ねてきた全てを投げ捨ててでも、浮世とともに生きることを選択するのだ。

そこにはもう放っておけないなんて言葉では通用しなくて、ただならぬ思い、それはまさにタイトルの通りに本気が宿っている。
簡単な言葉では片付けることができない人と人の関係、人の奥底が映し出されていく。

その上で、それでも浮世に裏切り続けられる辻。
ただし、裏切られることについては、その人の目線からそうあるべきという視点が入り、その人側の都合によって勝手に期待しているから裏切られると感じるだけに他ならない。
それは相手の知ったことではないのだ。

それでもその人と繋がり続けたいと思うか、そのための行動をし続けられるか。
それこそが愛であり、「本気のしるし」なんだなと感じた。

浮世だけでなく、実は辻も誰もに優しく接しているようで、自分の視点しか持ち合わせられていない浅はかさがあった。
その中で数ある女性に行ってきたことが、浮世からブーメランのように返ってくる。

そこから本気の矛先が逆転する。辻から浮世だったのが、浮世から辻に。
好きになる/好きであることを知ったからこそ、初めてその人に自分のしたことの申し訳なさや愚かさに気づき、その人のために自らの人生を捧げることを厭わなくなる。
こうなるともう理屈では語れない。好きだからこうしたいという意思、そして何が何でも一緒に生きるという覚悟の問題なのだ。

そこから続くラストのシークエンスは本当にたまらなかった。
前半で映し出されていた伏線が見事に意味を持ち回収されていき、逆行しながら超絶エモーショナルな愛の物語へと昇華されていく。

あのラストシーンは、自分の中で2大衝撃かつ大好きな『寝ても覚めても』や『きみの鳥はうたえる』のラストをも超えるくらいの衝撃と余韻、そして強度のあるものだった。

素晴らしいという言葉でさえも薄っぺらい。
この2人でしか到達することができない唯一無二の愛と本気の到達点に、ただただ平伏すしかない。
こんなものを見せられたら、どんな人間関係もどこか薄っぺらく見えてしまいそうだし、どんな作品の描く人間模様も物足りなく感じてしまいそう。

それくらい強固で深い人間模様が描かれていて、とにかく232分間本気で目が離せなかった。

P.S.
主演の2人に森崎ウィンさんと土村芳さん。
これ以外は考えられないくらいにハマっていて、かつ細かい部分まで演じ切られていて、本当に素晴らしすぎた。特に土村芳さん凄かった!
今後も注目していきたい。
内容的に近しい作品として『寝ても覚めても』があるが、それよりも強烈で衝撃的で説得力もあり、観終わったあとは『ハッピーアワー』みたいな感覚に近い。

映画『羅小黒戦記』感想:争いから語られる共生の難しさ

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おもしろかった!
もしも世界の中に妖精が住んでいたら…妖精とともに生きる共生することを目指す人間か妖精のために人間社会を破壊して妖精だけが生きられるようにすることを目指す妖精か。
共生と支配という一筋縄ではいかない大きなテーマを、わかりやすくしっかりとした物語と見応えのあるアニメならではのアクションとバトルで魅せる。

さらに、シャオヘイがとても可愛らしくて、ムゲンがとてもかっこよくて、両者のやりとりがとても微笑ましくて、ついつい笑ってしまうシーンも多くあってとにかく飽きない仕掛けづくりが凄い!
それ以外に出てくるキャラクターもみんなそれぞれの特色があって推しキャラが生まれる構造になっていて、属性という興味のそそられる概念を盛り込み、異世界を上手に現実世界に入れられている。

105分という尺も物凄く見やすく、この尺だからこそ休まるシーンがないままに、がっつりとのめり込めて目を離す隙がない。
クオリティが物凄く高い作品だった。

強いて言うなら、105分でこれだけ色々詰め込んでいるがゆえに、共生と支配を唱える両者におけるキャラクターの深掘りはやや弱く、キャラクターへの感情移入をできるほどのものではなかった。
あれだけの魅力的なキャラがたくさんいるので、そこはもったいない。
まあそこは想像で全然補えるレベルなので特に気にはならなかったし、逆にそこはあえて排除して、展開によるおもしろさに完全特化している感じもした。

あらゆる生物に感情を宿していき、それらとの共生の大切さを示唆していくジブリ作品に、正義と正義のぶつかり合いが争いに繋がるマーベル作品(アベンジャーズ)の彷彿とさせるようなどちらもの要素を感じられて、掛け合わせのオリジナリティにより凄いものが生まれる最たる例だなと。

こういう作品を観ると意見や考え方が異なる者同士は、争いによってでしか解決できないのかという、まさに世界情勢を意識した現代社会のメタファーとなっているのに、もやもやを感じざるを得ない。

今回はそんなメタファーとして作られた社会の中で出てきたムゲンが、あらゆるものの共生をちゃんと考えて実行する人物像として描かれていたから、それによって時間がかかってでも、共生を目指していけるのかもしれない希望として終わったが、人間は誰しもがムゲンみたいな人ばかりではないというのが複雑なところで、そうなると極論の二項対立になってしまうことがある。
そして、その弊害を第三者が受けてしまうことも。

人間社会のみですらそのような状況なのに、それ以外の生物を含めるとよりその状況は顕著になるだろう。

こういう作品を観て感じたこととして、共生とそれを妨げているものを考えさせられたが、人間が居心地よく生きるために壊してきたものを振り返るきっかけにもなることが、本作の願いとしてもあったのかなとも感じた。

どんなことにも自らの価値観を押し通そうとすれば、それによって犠牲になってしまう誰かが出てきてしまう。
この世界には同じ考えの人ばかりが生きているとは限らないことと同時に、人間だけが生きているのではないという当たり前のことにも改めて気付かされ、ハッとさせられた。

そこからは避けて通れない社会が縮図としても描かれているようで、そこはまた別の観点で考えさせられる作品でもあった。

なかなか立ち止まって考える機会のない大切なことと社会にある構造そのものを、小学生でもわかりやすく大人でも見応えのある形で映し出してくれる、色んな観点で満足できる映画でした。

映画『泣く子はいねぇが』感想:一人の男が見切りをつけられる現実味

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仲野太賀さん主演に、吉岡里帆さんが出演ということで、心待ちにしていた作品。

わかってはいるはずなのにそれに伴わない行動で、やらかして失っては、向き合いきれずに逃げて…そこでやっと気づく自らには何もないという空虚さ。
自らを客観視して向き合うのは難しくもあり、なかなか自分だけでは解決できないこともある。

それからなくしたものに向き合っていく決意と行動が一人の男を徐々に変え、芽生えていく父親として生きる上での責任と自覚。
ただし、それに気づいたときにはもう遅く、なくしてしまった信頼を取り戻すことはできない。
そんな無責任かつ無自覚にやらかしてしまった側が、見切りをつけられる現実がまざまざと描かれる。

これは他人事のように見えて、他人事として割り切れない男女の関係によるシビアさがある。

共同生活を営む中で、無自覚に、無責任にしてしまう一つ一つの発言や行動、そして仕草までもが相手に良くも悪くも影響を与えることがあって、表面として出ていなくても氷山の一角はどんどん積もっているかもしれない。

本作では、完全に見切りをつけられる決定的な一打があったから、あのように早い段階で関係が切れることになるが、それがなかなかできずにどちらかが我慢をし続ける状態で、もっと溜まりながら心の距離が離れていき続けてる関係は他にも全然ありそうだ。

一人で生きていく中では考えなくてもよいが、誰かと生きる上ではこの作品の描いていることに向き合わずにはいられないだろう。
意識していなくてもうまく回ってると思っている人がいたら、それはどちらかが我慢をしている可能性がある。
それだけなかなか表には出て来ないことだとも思うから。

表に出てからではもう取り返しがつかない状態なのだが、そうなるまで気づけない、いや薄々気づいていても、自分を顧みることを先延ばしにして、向き合えない弱さがあるのもまた人間だと思う。

そんな人間の姿の象徴として描かれていたのがたすくではあったが、そうなってしまったときに、次の一歩をどう踏み出していくのかも大事で、そこへの向き合い方とそうなったときに救いになるものとは何かも本作では示唆されていく。

自らの意思がないからこそ、責任も伴わずに流れるように生きていたたすくは、気づいたら居場所をなくしていて、どう生きていけばよいのかもわからなくなっていた。
別にそれがなくても生きていける人もいるだろうが、たすくにはそれだと生きた心地がしなかったのかもしれない。
だからこそまた居場所を取り戻す決意をしたのだろう。

最後のシーンは、たすくなりに向き合った結果、自分にはこれしかないと結論づけるに至った、一種のケジメとして行動なのだろう。
そこにナマハゲへの監督の思いも強く感じられる。
そんな今までにないと感じていたたすくの自覚と責任を、やっと感じ取ることができたからこそのことねのあの行動でもあった気がする。

比較するのはあれだが、映画『凪待ち』と重なる部分がある。
それは主体性の有無だけでなく自覚や責任が全くない主人公を辿る物語であることもそうだし、娘の名前が凪というのも全くの無縁ではない予感がしてるから。

決して悪気があるわけではないのに、発する言葉や起こす行動、そして見せる表情が全て悪い方向に拍車をかけてしまう様が、いかにもいそうな感じがして、見ていてきつかった。
あらゆる言動が、誤魔化そうとしているように見えてしまう。

主人公がより人として堕ちるところまで堕ちていくのが『凪待ち』ではあるが、そこの描写に関しては本作はわりと控えめで、それはたすくの性格に人としての理性がまだあったのと彼のことを支える救いとして親友・志波亮介と母親の存在があったからだと思う。

何もないと悟ったときに、見捨てないでいてくれる人がいるだけでもう少し生きていられる。

人間関係におけるリアリティを突き詰めていきながら、じんわり救いも持たせてくれるバランスが絶妙な映画だった。

P.S.
仲野太賀さんの一つ一つの表情と吉岡里帆さんが仲野太賀さんを見る冷めた目が物凄くリアルで突き刺さってくる。
実はドラマ『ゆとりですがなにか』でも共演してる2人だが、こうやって主演の夫婦役(離婚するが)として交わるのは感慨深いものがあるし、もちろんさらに演技力に磨きかかっていて、まさに2人だからこそよりのめり込めるものとなってる。
脇を固める寛一郎さんと山中崇さんの存在感もよき!

映画『タイトル、拒絶』感想:嘘のない振り切った彼女たちの生き様に心揺さぶられる傑作

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ワタシの人生に、タイトルなんて必要なんでしょうか?


嘘のない振り切った彼女たちの生き様に心揺さぶられる傑作。

社会に掻き消されている切実な声なき声が次々に溢れ出てきて、ただ生きることそのものに一筋縄ではいかない難しさやきつさを内包している様が、随所に描かれる。

心が擦り減りそうになるくらいに色々と突き刺さってきた。
それはその道を進んで選んだ人たちでなく、選ばざるを得なかった人たちの物語であるから。
消費され続ける現実と抗いきれない現実がそこにはあって、その中でも日々を生きていく。

でもこれこそが心の底から自分を生きているってことなんじゃないかとも同時に思った。
自分に嘘をつかずに思ったことを言動にし、あらざるを得ない中でのありたい自分を見境なく曝け出す。
ある人は叫び、ある人は笑い、ある人は空気を読み、ある人は書き、ある人は拒まれても愛し続ける。
それぞれ個性的な自分を決して曲げることがないのだ。

どんな状態になったとしても、簡単に人生を開き直ることはできない。
どんな生き方をするにせよ、自分に誇りを持ちながら生きることは諦めない。
その誇りは捨てられないものであり、存在意義みたいなもののようにも感じた。
その中で蠢いていくのは自分の中にある私利私欲か、はたまた愛か、それとも別の何かか。

これは何もこの世界の中だけの話ではないだろう。
社会の縮図とまではいかないが、人生を半ば諦めている人や希望を持てずに日々をこなすように生きている人にも、何か共通のものがあり、突き刺さるものがありそうだ。

決して抗い切ることのできない現実の中で、今を生きるために生き続け、それでも自分を諦めずに抗っていくそれぞれの姿には心揺さぶられるものがある。

その中でも個人的に特に生き様として琴線に触れたのがマヒル恒松祐里)とキョウコ(森田想)であった。
自らのこれまでの人生を境遇とともに逆手に取って利用することに吹っ切り、そこに生きる意味を見出していくマヒルとリョウタ(田中俊介)への愛を縋りながらも諦めずに与え続けるキョウコ。
見ていて覚悟が違うというか、特にマヒルはあの中でも別次元を生きているようだった。

人は他人の気持ちを完全に理解することができないというよりも、理解することを必要としていないのかもしれない。
知れば知るほど比較しては惨めになって、勝手に自分でラベリングしておいた方がまだ正気を保てることもあるから。

それがきっかけとなり破綻していく関係性とか、氷山の一角として溜まってたものが嫉妬まじりに爆発していく様も、なかなかにリアルに感じられた。
度々出てくるたぬきとうさぎの話も比較から生まれてる概念でもあったし。

そういう他者との比較を捨て去り、自分は自分であることを誰かと比較することもなく認められた先に、やっと他人を理解する土台に立てるのだろう。
そういう意味でも、マヒルとリユは達観してたような感じがする。

自分がこうある/あったという意味でつける人生のタイトルと他人からこう見られるという意味でつけられる人生のタイトルと。
どちらも必要ない生きることへの並々ならぬ覚悟と勝手にラベリングされてタイトルをつけられることへの拒絶。

登場人物誰かの琴線に触れられて、色々と突き刺さりながらも、生きることを頑張ろうと思える作品でした。

P.S.
主役の伊藤沙莉さんをはじめ、キャストの演技が全員とてもよかったけど、その中でも特にマヒル演じる恒松祐里さんの演技が凄かった!
今後への期待がより高まりました。