シネマライフキャリア - Cinema Life Career -

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【映画】幼な子われらに生まれ 〜親愛なる、傷だらけの人たちへ〜

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不器用で、真正面から向き合うことができない大人たち、バツイチ夫婦が子供との関わり方やお互いの夫婦との関わり方に悩みながらも少しずつ前に進んでいく物語。

いわゆる「普通の幸せな家族」を築くことの難しさ、結婚前後の心変わりや夫婦それぞれ身勝手さ、さらに子供ができることによって「こうするはず」が全然上手く回らずに、どんどん悪循環に陥っていく感じがとてもリアルだった。
現実はそう甘くない。

「普通の幸せな家族」・・・それぞれに理想の家族の定義はあるだろうが、その前段階に、家族がお互いを信頼しながら相談したり話せたり、家族全員でご飯を美味しく食べたり、小さい頃は家族旅行が楽しみで仕方なかったり、そんな些細なことが家族で分かち合えるかどうか、というのがまずあると思う。

訳ありの家族であったこともあるが、いわゆるその「普通の幸せな家族」が、田中家では築くことができていなかった。
その問題に対して、夫婦間でもなかなか向き合うことができずに、それぞれの溝は深まっていくばかり。
さらにそれが何もわからない次女恵理子(新井美羽)にまで、よくない影響が波及していきそうになってしまう。

「家庭を築くこと」の裏側には、想像を絶する悩みや葛藤があることがわかる。
それどころか、父親の方はそれにあわせて、仕事の悩みや苦しさもついて回ってくる。
母親は母親で、誰にも相談できないようなもやもやを抱えながら、気を遣いながら生きていかないといけないしんどさもある。
それが、田中家の家族の実態であった。

この作品では、登場人物それぞれに身勝手さがあって、それをお互いに受け入れきれない不器用さがある。

田中信(浅野忠信)は、友佳(寺島しのぶ)と別れ、2人の子供を女手一つで育てようとしている奈苗(田中麗奈)と再婚するが、結婚後に長女薫(南沙良)と向き合うことができず、ちゃんと愛することができず、次第に奈苗に対してのあたりまで強くなっていく。
また、自分の子供である沙織(鎌田らい樹)の方を愛してしまい、それが薫にも伝わってしまう。

奈苗は、どこに置けばいいかわからない不安や関わり方への問題を、行動を変えることで解決しようとするのでなく、答えを夫に求めようとすがってしまう。

長女薫は、信を他人扱いし、父親として受け入れることを頑なに拒絶。
全く心を開くことなく、どことなく試している感じに、終いには「本当のパパに会いたい」、「こんな家族嫌だ、だって他人だもん」と言ってしまう始末。
でもそれは、愛されていないこと、捨てられてしまうんではないか、そんな不安が彼女の中にあったからこその言動であった。

沢田(宮藤官九郎)は、奈苗と結婚するも、結婚後と子供ができたことにより、家族の理想とのギャップにDVや奈苗にあえて嫌われるようなことをし、別れにもっていく。

友佳は、信に対して自分の気持ちを話せなかったことを、「なぜ」としか聞かなかった信のせいにする。

それぞれの身勝手さがぶつかり合いやすれ違いに繋がり、それぞれの問題は深まっていくばかり。
信は仕事でのこともあり、そんな状況下から逃げてしまいそうになる。

ただし、後半にかけて、信の変わるきっかけができる。
薫に父親として見られていないことが、「なぜ」なのか。
沙織が、父親の死んだときの涙や父親として見ている姿を見ることにより、少しは気づいたように見えた。
沙織がとても大人に見えた。
そして、気持ちを理解しようとしなかった信が、薫の気持ちを理解しようとし、少し寄り添えるようになっていた。

根本的な問題は解決していないが、少しずつ家族が変わっていくのがわかり、最後に「幼な子われらに生まれ」というタイトル通りに1つの命が誕生する素敵な終わり方。
それがきっかけで、さらに家族の関係が深まって欲しいと願う。

結婚するとき、子供を作るときに、やはり悩みながらもそれぞれの問題、嫌なことと向き合う覚悟は必要であると考えさせられた。

P.S.
自分の家族がそうではないからわからないが、子供はやはり「本当の父親(血が繋がっている父親)」かどうか、というのは大事なのだろうか。
今作では、それを表現しているように見えて、大事なことは「愛していること」がどれだけ伝わっているかどうか、であると自分は解釈した。

一人カラオケシーン、エレカシの「悲しみの果て」が映画に合いすぎてた。