シネマライフキャリア - Cinema Life Career -

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【映画】動くな、死ね、甦れ! 〜ドキュメンタリーとフィクションの融合〜

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永遠なる映画の奇跡。

ドキュメンタリーとフィクションが融合しているような作品。
おそらくヴィターリー・カネフスキー監督自身が見てきた世界とこうあって欲しかった(こんな少女と出会いたかった)という幼少期の世界を織り交ぜて作品にしているような感じがする。

だから現実と空想がこんなにもマッチしていて、それが一つの作品となっているように感じ、そんな作品はとても珍しい。
映画でしか創ることができないような素晴らしい世界観。

第二次世界大戦直後のロシア(ソビエト連邦)。
収容所地帯と化した小さな炭鉱町に生きる少年ワレルカと少女ガリーヤの純粋無垢で自分に正直すぎる二人の物語。

幼い頃って特に女性が大人で男は子供。
同い年とは思えないほど、対照的な二人ではあるが、少しずつ純粋な想いがお互いを近づけていくのがわかる。

悪戯が好きなワレルカ。
子供が気になっている相手にちょっかいをかけたがるのはどの時代もどの国でも同じなんだなと微笑ましくなる。

そんなワレルカを救世主、いや天使のように受け入れて絶妙に危機を救いながら包み込んでいくガリーヤがとても大人に見えた。

ワレルカは母親の反発心から無垢な悪戯がどんどんエスカレートしていく。
スケートの盗難や学校にイーストを菌撒き散らす行為。
これは思春期によくある反発心からの行動。
その節々のタイミングで彼を救っていたのがガリーヤだった。

そんなエスカレートした悪戯は機関車の転覆を引き起こし、ついに警察沙汰になってしまう。
警察に標的とされたワレルカは、そこでもまたガリーヤに救われながら、警察から逃げることに成功する。

また二人の想いは近づいていく。
ワレルカの悪戯とガリーヤのほっとけない精神が、上手に共鳴していく。

ただし、悪戯の延長で事態は予期せぬ方向へと進展していく。
ワレルカが友達だと感じて一緒に行動していた人たちが盗人グループで、命が狙われることに。
その最悪なタイミングで、また救世主のようにガリーヤがやってくる。

ここもこんな上手なタイミングでやってくるかと思いながらも事態はそれどころじゃない。
ワレルカは良くも悪くも純粋無垢で世間知らず。
それゆえに、盗人グループが本当に仲間だと勘違いしており、事態の危うさに気づいていない。

ガリーヤがここでも事態をいち早く察知し、一緒に逃げることをすぐに試み、何とか事なきを得る。
ワレルカはナイフを持って走ってきたことでようやく察していた。

そこから二人はスーチャンに戻ることを決意し、一緒に帰っていた。
帰路での二人のやりとりがとても微笑ましくてここでハッピーエンドで終わって欲しかったのに・・・と最後の切なさ。
偶像は理不尽に亡くなってしまう…。

閉塞感漂う当時のソ連の状態に狂ってしまった女性に対し、「この女をよく見ておくがよい」というのが、何ともその通りでこの映画を上手に表している。
「これがこの時代のメタファーだ」とでも言いたいようなシーン(終わり方)だった。
さらに、冒頭のシーンや曲がそこで腹落ちし、上手に展開されているなと思った。

それ以外にも、小麦粉を泥と混ぜて食べる男、狂ったように微笑みながら同じことしか口にしない日本人、子を産んで脱獄するために見知らぬ男に性行為をせがむ女囚など…要所要所に救われないシーンが散りばめられており、閉塞感極まりなかった。

また、当時のスーチャンには日本収容所もあったようで、度々捕虜として捉えられ、奴隷として働く日本人も描かれているが、そこはあまりきつめには描かれていなかった。

誰の心にも余裕がない閉塞感漂う時代で、一番余裕があるように見えるのが子供たちだった。
余裕なさげな大人たちを全てを察しているような面持ちで見続けていた子供たちが印象的で、この辺りは「クーリンチェ少年殺人事件」を彷彿とさせる。怖い時代である。やはり恐るべしスターリンとでも言うべきであろうか。
社会主義国家で国民に救いがないことほど、悲惨のことはない。

当時の時代背景はドキュメンタリーチックに、ただガリーヤは当時の理想の女性像(偶像)としてフィクションチックに描かれており、相対する両者が融合していて不思議な世界に連れて行ってくれる。
内容は難解ではあるが、やはり傑作だと感じたので、一人でも多くの人に観て欲しい作品でもある。

「動くな、死ね、甦れ!」というタイトルの意味がどうしてもわからない。