シネマライフキャリア - Cinema Life Career -

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映画『タイトル、拒絶』感想:嘘のない振り切った彼女たちの生き様に心揺さぶられる傑作

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ワタシの人生に、タイトルなんて必要なんでしょうか?


嘘のない振り切った彼女たちの生き様に心揺さぶられる傑作。

社会に掻き消されている切実な声なき声が次々に溢れ出てきて、ただ生きることそのものに一筋縄ではいかない難しさやきつさを内包している様が、随所に描かれる。

心が擦り減りそうになるくらいに色々と突き刺さってきた。
それはその道を進んで選んだ人たちでなく、選ばざるを得なかった人たちの物語であるから。
消費され続ける現実と抗いきれない現実がそこにはあって、その中でも日々を生きていく。

でもこれこそが心の底から自分を生きているってことなんじゃないかとも同時に思った。
自分に嘘をつかずに思ったことを言動にし、あらざるを得ない中でのありたい自分を見境なく曝け出す。
ある人は叫び、ある人は笑い、ある人は空気を読み、ある人は書き、ある人は拒まれても愛し続ける。
それぞれ個性的な自分を決して曲げることがないのだ。

どんな状態になったとしても、簡単に人生を開き直ることはできない。
どんな生き方をするにせよ、自分に誇りを持ちながら生きることは諦めない。
その誇りは捨てられないものであり、存在意義みたいなもののようにも感じた。
その中で蠢いていくのは自分の中にある私利私欲か、はたまた愛か、それとも別の何かか。

これは何もこの世界の中だけの話ではないだろう。
社会の縮図とまではいかないが、人生を半ば諦めている人や希望を持てずに日々をこなすように生きている人にも、何か共通のものがあり、突き刺さるものがありそうだ。

決して抗い切ることのできない現実の中で、今を生きるために生き続け、それでも自分を諦めずに抗っていくそれぞれの姿には心揺さぶられるものがある。

その中でも個人的に特に生き様として琴線に触れたのがマヒル恒松祐里)とキョウコ(森田想)であった。
自らのこれまでの人生を境遇とともに逆手に取って利用することに吹っ切り、そこに生きる意味を見出していくマヒルとリョウタ(田中俊介)への愛を縋りながらも諦めずに与え続けるキョウコ。
見ていて覚悟が違うというか、特にマヒルはあの中でも別次元を生きているようだった。

人は他人の気持ちを完全に理解することができないというよりも、理解することを必要としていないのかもしれない。
知れば知るほど比較しては惨めになって、勝手に自分でラベリングしておいた方がまだ正気を保てることもあるから。

それがきっかけとなり破綻していく関係性とか、氷山の一角として溜まってたものが嫉妬まじりに爆発していく様も、なかなかにリアルに感じられた。
度々出てくるたぬきとうさぎの話も比較から生まれてる概念でもあったし。

そういう他者との比較を捨て去り、自分は自分であることを誰かと比較することもなく認められた先に、やっと他人を理解する土台に立てるのだろう。
そういう意味でも、マヒルとリユは達観してたような感じがする。

自分がこうある/あったという意味でつける人生のタイトルと他人からこう見られるという意味でつけられる人生のタイトルと。
どちらも必要ない生きることへの並々ならぬ覚悟と勝手にラベリングされてタイトルをつけられることへの拒絶。

登場人物誰かの琴線に触れられて、色々と突き刺さりながらも、生きることを頑張ろうと思える作品でした。

P.S.
主役の伊藤沙莉さんをはじめ、キャストの演技が全員とてもよかったけど、その中でも特にマヒル演じる恒松祐里さんの演技が凄かった!
今後への期待がより高まりました。