【映画】葛城事件 〜家族崩壊〜
無差別殺人事件をモチーフに、家族、社会での生きづらさ、死刑制度の是非など、様々な問題に切り込んでいて、しかもそれがしっかりと演出によって考えさせられる。
非常に重いテーマが並ぶが、見応えのあるよい映画だった。
家族の崩壊は思ったよりはやく、それを戻すのは並大抵ではないことがわかる。
それぞれが変わればそれでよいのだが、そもそも変わる必要性に気づいていない時点で、危ないし取り返しのつかないことになっていく。
まずはそんな家族の崩壊がうまく表現されていた。
普通の幸せな家族になれるはずだった。
その条件はちゃんと整っていたはずだった。
家族が崩壊していく発端は、間違いなく頑固で抑圧的な態度をずっととり続けている父親(三浦友和)である。
彼の母親(南果歩)に対しての行動により、母親が自分をなくしていき、父親の指示に従うロボットみたくなっていく。
感情や自分で考えること、自身の意見を持つことすらしなく(できなく)なってくる恐怖。
そこに、父親からの期待を背負って生真面目に生きる長男(新井浩文)、バイトするがすぐ辞めて職を転々としているフリーターの次男(若葉竜也)。
長男は生真面目だからこそリストラにあってなかなか職が決まらなくても、周りに迷惑をかけまいと、どんどん自分を追い込んでしまい自殺。
次男はこんな自分になったことを全て他責にし、本気になれない。
生きにくいと感じる世の中で、爆発し感情がコントロールできず、無差別殺人に至る。
自責でも他責でも度が過ぎるとこうなるから、程よいバランスが大事。
普通の幸せになるはずだった家族は、父親の抑圧的態度により上記状態になり崩壊。
それでもキャッチコピーで「俺が一体、何をした」とあるように、父親には悪気がなかった。
人の気持ちや感情について、考えなさすぎるとこんなすれ違いが起こってしまう気がした。
コミュニケーションによって解決されるはずの家族の問題が、本音を言えないことでどんどん崩壊していく。
でもこんなことって他の家族にもあり得ることなのかなと思ったり・・・
それがたまたまこの家族では、こんな形に現れてしまっただけのことかもしれない。
異常は普通を踏み外してしまうことで起こる。
プライドが高ければ高いほど、立ち位置やステータスを気にしてしまい、どこかで自分を正当化してしまうが、それすらもが崩れてしまう恐怖。
世を斜めからしか見れないのは危険。
さらにうまく生きていけない人にとって、生きていくのすら辛い世の中。
特に日本がそうなのか、頑張れないと、耐えられないと、生きることができない日本社会の縮図がここにはあった。
あらゆる事象や事柄について、そのときの環境や性格、育ち方で変わるし、それが残虐な事件などに繋がってしまうことがある。
そこに切り込んで死刑制度の是非についても考えさせられる今作。
人間を諦めたくないといった次男の恋人(田中麗奈)の言いたいこともわかるようなわからないような・・・
変わるきっかけはどこかにあるはずで、環境や育ちが原因でそういう人になってしまうこともあるはずだから。
本当に難しい問題だなと思う。