シネマライフキャリア - Cinema Life Career -

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【映画】万引き家族 〜人が人らしく生きるためには〜

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万引き家族

 

アカデミー賞外国語映画賞にノミネートされましたね!

日本アカデミー賞ノミネートは予想通りやったけど、本家アカデミー賞へのノミネートは驚きです。

個人的には2019年ベストの映画でした。

 

是枝監督らしい「家族として生きること」を軸に、あらゆる人の内なる感情や生活にスポットを当て、生きる上での不条理と大切なものを細かく描き切り、鑑賞者に色んなことを考えさせてくれる傑作であった。

 

今までの作品では、父親、子どもなど、家族の中でのいずれかにスポットを当てる作品が多かったが、今作はあくまで個人個人にしっかりとスポットが当てられており、人の生活の多様性とそれを邪魔する不条理さと抗わざるを得ない人の弱さとそれでも一緒にいたいと願い努力する強さとそれでも裏切ってしまう弱さと、そんな人生の中で大切なもの…あらゆるものが詰まっていて、生活と人間らしさと温かさと冷たさを感じられる。

まさに是枝監督の今までの集大成と言える素晴らしすぎる作品だったと思います。

 

人は自らで選択をできるからこそ、生きることに幸福感や満足感を得られるはずなのに、現実は必ずしもそうとは限らない。

 

それを一番重く受けるのが非力な子どもたちであることは言うまでもなく、子どもは勝手に親を決められ、生きる中で自らが選択をしながら生きることは基本できず、ほとんどは大人の言いなりであり、大人の言うことが絶対の世界の中で生きないといけない。

 

今回は誘拐(というよりも駆け落ちに近い)という形で、連れ出してもらえたからこそ、人の温かみを知ることができ、生きることのささやかな喜びと幸せを噛みしめることができた。

それなのに現実や大人の都合が一気にそんな日常を幻想に変えてしまう。

それが不条理なことであるとは深く考えずに、(いわゆる世で言われる)血の繋がっている本当の家族のもとに戻すのが正しいという変えることなき正義を軸に…そこに子どもに選ぶ権利というものはそもそも存在していない。

子どもの想いは置き去りにされている。

 

そこに対して問題定義をしながら、家族を含む組織のあり方を今一度考えさせるように個人にスポットを当てて物語が進行していく。

是枝監督はあえて今作の中で、家族を個の集合体として描いていることがとても印象的であった。

 

家族だからというおしつけがましさがなく、あくまで個人としての集合体であり、みなが自分の意思を持つ1人の人間がたまたま集まって生活をしている集団。

だからこそ、その中には命令や上下関係を作って支配することそのものがなかった。

自分が正しいと思ったことを行い、違うと思ったことは子どもでも親にちゃんと指摘する。

あくまで対等な関係である。

自らが考えて選択をきちんとした上で成り立つ集団の生活こそが本当の家族のあり方であり、だからこそその中に人間らしい温かみが生まれるのではなかろうか。

それを是枝監督は伝えたかったのではなかろうか。

 

日本では生まれながらに見えない上下関係がすぐにできあがっている。

その最たるものが家族であり、大きくなれば義務教育の先生と生徒の関係、さらに大きくなれば上司と部下の関係と…いつのまにか考えて選択をすることのできない流される人間ができあがる。

そんな集団のあり方に危機感を提示している作品であるようにも思えた。

 

「盗んだのは、絆でした。」

あらゆる個人が集まった血の繋がっていない家族は、あらゆるものを盗むことで家族としてやっと成り立つことのできる非力な集団でもあった。

そんな家族には、それぞれに素敵な温かみがあるにせよ、法によって裁かれる厳しい現実の中ではいとも簡単にバラバラにされてしまう。

あらゆる盗みの果てに、絆までもを勝手に盗んでしまっていた。

万引きしか教えることのできない弱い父親と抱き締めてあげることしかできない弱い母親。

でもそれまでの家族としての生活や父親母親としての温かさと優しさは本物であり、誰もがそんな生活と人の温かさに救われていたに違いない。

だから何が正しいかなんて法律だけで判断できない深いものがある。

 

子どもは本当に正しい選択をできないのか、逆に大人は必ずしも正しい選択をできるのか、勝手に子どもを見下してないか。

自問自答しないといけない。

 

誰もが自らの人生を、しかるべき選択をしながら、歩んでいけることが当たり前になる世の中に。

集団の重さや尊さまでもをその人自身が決められる。

幻想とはわかっているものの、そんな現実であれば人が人らしく幸福感を持って生きることができる世の中になるのではないだろうか。

 

こんなに難しいテーマを他人事にするのではなく、自分事にして考え悩み尽くして、一つの作品として作り上げる。

これが是枝監督。尊敬せずにはいられない。

感動の連続であった。

 

どんな生き方をするか、どんな家族を作るか、どんな世界観を作るか、それをどのように実現するか。

今一度立ち止まって考えてみたくなった。

そんな今作は、普段映画を観ない方、邦画を観ない方も、これだけは本当に観て欲しいと言える大傑作の映画でした。

 

下記2回目を観たときの追加の感想。

・目的が何であれ、その事実を知ることがなければそこに愛や家族としての関係は生まれるということ(集まった当初の目的は本当はお金だけだったのかもしれなかった、それでも生活を共にすることで、そこには確かにちゃんとした愛が生まれていて、家族の関係で繋がられていたように見えたし、少なくともみんなが最後はそう信じていた、それが表現されていたのが事情聴取のシーンだった)

・「奪う、救う、拾う」、同じ誘拐でも全く中身が異なるということ(同じ誘拐でも全然違う。奪うのはエゴだけどそれ以外はエゴではなく、誘拐された人によっては人助けにも繋がることがあるのである。)

 

また今回はスイミーが意味していたことに着目してみた。

それは小さな個人が力を合わせることで、生きるのが難しい大きな世界を曲がりなりにも幸せに生き抜いていくことができることを意味しているように見えたが、最後に家族がバラバラになりそれぞれが個人として一人になっていくシーンで締められていた。

いわゆるみんなとは違った生き方をしてきたそれぞれが一人になることによって、別の世界を見ながら自分という個人と向き合っていくことが、また新しい自分を作っていくということ、そこから様々な価値観の人との共存が始まることをも意味していたのではないかなと。

 

じゅりが一人で外に出て遠くを見ながら終わったのが意味深。

 

細かい部分まで考えながら見てみると改めて深い映画だなと思った。

次作では、色んな世界観が共存される多様性のある彼の理想的な世界を描くような作品を観てみたいなと純粋に思った。

 

P.S.

キャストそれぞれの演技がよりこの世界感を引き立てていて、家族の一員に本気で加わりたくなった。気づいたら「万引き家族」に没入していた。

リリーフランキー安藤サクラ樹木希林は言うまでもないが、何より松岡茉優がやっぱり凄いなーと改めて思えた作品である。