【映画】デイアンドナイト 〜善と悪はどこからやってくるのか〜
善と悪はどこからやってくるのか。
善悪の問題について、単なる二項対立で描かずに、あらゆる方面からの善と悪に深く触れていく心意気は凄くて、物凄い熱を感じられ、物語も濃密で無駄がなく、目が離せない。
だが、やはり善と悪をここまで多面的に描いたからこそ、どう折り合いをつけて、物語を終着させていくか、が本当に難しい内容であった。
やっぱり善と悪、正しさと間違いは、人や組織の目線によって異なってしまうから、どうしてもここに確固たる答えを導き出すのが難しく、結局数の論理に誰かの善(正義や正しさ)が負けてしまう構図に終着してしまうのがいかにも日本らしく、そこへの問題提起は強く感じられる作品だった。
伝わってきたことは、下記2点であった。
・自らが善悪を考えようとするときに、いかにイマジネーションを働かせて、あらゆる側面から考えられるかどうか、が大事であること。
・その上で考えた善悪に照らし合わせた悪を正そうとするときに、それに対してどう向き合い、立ち向かっていくのか、の手段は本当に慎重に考え抜いて決めて進めていくべきであるということ。
父が大手企業の不正を内部告発したことで死に追いやられた明石幸次(阿部進之介)。
家族が崩壊寸前で、父が経営していた会社の給料未払いが溜まり、実質借金を抱えているような形になっていた。
そんな明石に手を差し伸べて仕事を紹介する北村(安藤政信)。
孤児を父親同然に養う傍ら、「孤児たちを生かすためなら法を犯すことをも厭わない。」道徳観を持ち、正義と犯罪を共存させる北村に徐々に惹かれて、明石はどっぷりと犯罪に染まっていく。
そんな明石を案じるのが児童養護施設で生活する少女奈々(清原果耶)であった。
この設定からでもあらゆる善悪が共存していることは想像がつくが、物語が進むにつれてその善悪における背景には人それぞれに様々なことがあることがわかってくる。
今までの家庭環境や行ってきたこと、その中でやってしまった罪深きこと、あらゆるものから善悪が作られていることに気づかされたが、そこに自分の経験以外の要素が入る余地がなかったことに問題を感じた。
あらゆる側面から考えることが抜け落ちていた気がする。
もちろん、状況がある中での判断になるし、登場人物の様子を見ていると明らかに余裕がないのがわかるので、手段を選べないことはわかったが、もう少し先のそれをすることによって誰かが被害を被ることのイマジネーションが働いていなかった。
それぞれの善悪から来る行動の気持ちは痛いほど伝わってくるし、そこに復讐や背徳が交じってやってることがそもそも正しいかどうかもわからなくなっていく様は、そのまま社会の不条理として表現されている。
終盤の明石と三宅(田中哲司)が相対するシーンはまさにそれをそのまま映し出したようなシーンで見応えが物凄くあった。
自らの善は他の人にとっての悪になることがあり、社会の善は基本的にその数が多い方になってしまう。
そこにどう向き合っていくのか、を考えさせられたとともに、だからこそ社会の中で強いと言われている組織は、それこそ自らの善に本気で向き合わないと悪が善となされることになる。
地下鉄サリン事件やヒトラーのユダヤ人虐殺など、多大な被害を出した事件の根底にはこの善に対してのズレがあるからこそ生まれたものである。
現代も移り変わりが激しく、善悪を法律だけに委ねられる時代じゃなくなってるからこそ、善悪に対しては自分の軸をあらゆる側面から考えて、作っていかないといけないなーと感じた。
今作のようなことが今どこかで繰り広げられてるのかはわからないが、この内容は他の事象についても大なり小なり言えることで、まずは身近なものから考えるきっかけになる作品であり、今だからこそ生まれて欲しかった作品でもある。
多くの人に届いて、借り物じゃない自分の善悪について考えるきっかけになれればなと思います。
P.S.
主演の阿部進之介は初見でしたが、とても演技よかったです。
色んな意味で、逆に作品に入り込みやすかった。
そして、やっぱり清原果耶が本当に凄い!
あらゆる闇を抱えながらも凛とした輝きと美しさを放ち、あらゆる人を魅了する奈々をこんなにも体現できる女優は彼女以外おそらくいないだろう。それくらいよかった。
デイアンドナイトというタイトルがそのままで、善と悪の二面性が昼と夜という形で表現されていて、内容も昼は善の行い、夜は悪の行いが描かれていた。