シネマライフキャリア - Cinema Life Career -

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【映画】アンダー・ユア・ベッド 〜極限の孤独の先にある愛とは〜

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アンダー・ユア・ベッド

覗いていたい。このままずっと。

極限の孤独に蝕まれた男の愛は歪んでいて、狂気じみてはいるが、これは確かに一人の男の純愛の物語と捉えたい。

もう一度名前を呼ばれたい。
たったそれだけのために、覗き続けた先にあるものとは。

幼き頃から、家でも学校でも誰からも必要とされることなく、存在をも無視され、名前すら呼ばれたことのない男三井(高良健吾)。

 

その男に「三井くん」と名前を呼んでくれた、たった1人の女性がいた。
忘れられない思い出から11年の時が過ぎ、三井は女性との再会を夢見て、住んでいる家を特定して家に行ってみるが、目の前に現れた彼女が別人のように変わってしまっていた。

彼女に何が起こったのか、何で彼女はあんな姿に変わってしまったのか。
それを知るために、三井の狂気的に見えるほどの純粋な思いが一方通行に暴走し、盗撮や盗聴を始め、衝動が止まらない。

 

それだけではおさまらず、彼女の自宅から鍵を盗って合鍵を作り潜入し、ベッドの下に潜み、息を殺して彼女の監視を始めて、物語が徐々に前進していく。

極限の孤独とはどういうものなのか、その孤独を抱えて生きざるを得なくなり、生きることそのものを一人の唯一名前を呼んでくれたカフェに行っただけの女性に捧げるしかなく、自らの感情をも失いかけている中に、生きる意味をどう見出していき、それをどのように昇華していくか。

 

物語をここに着眼させつつ、孤独に蝕まれた男が起こせる行動の限界や欲求の不可解さ、現実と妄想の狭間にいながらどうすることもできないもどかしさ、そこから鬱々と様々な思いが溜まっていきながらも、徐々に思考と感情と欲求を前進させ、自らの生きる意味や人生のなすべきことに覚悟を決め、そのために確かなる一歩を踏み出していくまでもが、生々しく緻密に描かれている。

その中に感じられるものが多く、物凄く心を揺さぶられた。
主軸ではない暴力描写もなかなかにきつく、気分悪くなるくらいに痛々しく、それを第三者として覗きながら見ることしかできない居たたまれなさが何とも辛く、好転を願わざるを得なくなる。
あそこまでの暴力性が、この作品に必要だったのか。

 

何で生きているのかもわからない、生きる意味がなく幸せの意味すらもわからない男が、それでも孤独に食い潰されず何とか生き延び、やっと微かなる幸せを感じ取ることができた一人の女性との思い出。

相手にとっては、一緒にカフェをしただけの人で、特段意識せずに忘れてしまっている人でも、孤独に生きてきた男にとっては、唯一無二の存在として心に残り続ける。
この温度差こそが、場所的に近くにいても、とてつもなく遠く離れている存在としてスクリーンに容赦なく映し出されている。

 

同じところにいるのに、住む世界が全く違うという両者間の格差が何ともリアルで、一度優しくされたら好きになる男の極限の状態を表しているように感じた。

生きる意味を自らで切り拓くことができず、本当の意味で自分を生きることが結局できずに、ずっと学生生活のときのままで変わらない三井は、やはり彼女に自らの生きる意味を投影するしかなかった。

 

知りたい→もっとその人を感じたい→覗きたい→もっと近づきたい→家に潜入→アンダーユアベッド。
その中で思い巡らせる様々な回想から、やっとその思いは触れたい、一緒になりたいという欲求に進んでいき、助けないといけないという覚悟に繋がる。
妄想から現実の欲求を知る。妄想から現実に進歩が生まれる。
そこまでに物凄い時間がかかる。

普通であれば、ここまでいくのにそんなに時間がかからないし、他のことでその悶々としているものを昇華する考えに至るはずである。
それすらも全くできなくなるのが孤独の境地であるのかというのを悟った。

 

徐々に交差していく二人。
やっとの覚悟で、できることは手を伸ばすことだけで、連れて行くこともうまく助け出すこともできない。
たったそれだけでも、それが彼の全てである。
そこには、手を伸ばすことで、少しではあるものの、世界を知ることも変えることもできるんだという希望が垣間見える。

そして最後に名前を呼んでもらえた。

ほんの小さなことかもしれないけど、三井にとってはとても大きなことで、彼女の中で少しでも自分が生きることができたと感じられたなら、それだけでも彼にとっては十分幸せだったんじゃないかなと。

名前を呼ばれたときの表情を見て、そんなことを思った。

また新たな愛の境地を感じられ、フィクションの中に、現実味のあるギリギリの人間らしさを感じることができた。
いつ壊れても爆発してもおかしくない極限の孤独の中のギリギリの生。
でもその生に対しての強い執着が、すぐに亡くなるグッピーを生きたまま、育て続けられるその性格や人柄そのものからも表現されている。

 

強烈な愛の異常な昇華という意味では、『ユリゴコロ』に近しい。
そこに更なる現実味と孤独の境地を上乗せでじわじわと描いているのが本作である。
そんな三井にとっての生きることに対しての本気に、心揺さぶられる傑作だった。
丁寧にじんわりと妥協なく描かれるからこそ成し遂げられる世界観。

 

P.S.
キャストにおいては、3人とも凄かったのは言うまでもないが、何と言っても高良健吾が際立っていた。
こんな役もこなせるのかと。
美しい顔立ちから放たれる陰気な雰囲気。無感情。
存在しない者を見事に演じ切っていた。
真のカメレオン俳優は、やはり高良健吾だと思う。

いつ恋、ソラニン、きみはいい子、横道世之介彼女の人生は間違いじゃないケンタとジュンとカヨちゃんの国蛇にピアス…そして本作。
色が全て違いすぎて、でも全て見事に染まっている。
初見でしたが、西川可奈子の体当たりかつ、感情と気迫溢れる本気の演技も凄いです!
この移入が難しい世界観に、本当にのめり込ませてもらえました。
今後も注目していきたいです。

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