シネマライフキャリア - Cinema Life Career -

映画やドラマをメインにコンテンツの感想記事と生き方やキャリアを考える上で参考になりそうな記事を書いていきます。

映画『罪の声』感想:決して語られない裏側にある真実

f:id:takuro901:20201129203901j:plain

物凄くよかった!
やっぱり野木亜紀子さんの脚本が凄まじすぎる。
ドラマだけじゃなく、映画でも遺憾なくその凄さが発揮されていた。

描いていることの広さと深さがあるから、どうしても説明過多になり、特に序盤は登場人物をなぞっていくドラマっぽい側面を感じるからやや冗長さはあったけど、小栗旬さんと星野源さんが交わる中盤以降の展開が素晴らしすぎるからそんなことは全然関係ない。

むしろ長尺のドラマをメインに作ってきた方が、あれだけのことを描きながら、140分にちゃんと収めきれる技量が物凄いなと思った。

ただ、本作は原作があるから、そちらが素晴らしいものであるのも間違いないのかなと。

1984年に関西で起きた「グリコ・森永事件」をモチーフとして、中身の物語はフィクションで描かれている小説が映画化された作品。

未解決で終わった事件を追うことで事件の全貌が徐々に見えてくるミステリー性の作られ方、そこから明らかになる社会の縮図、関わる人を誰も置いてけぼりにせずに、ちゃんと一人一人の物語を作ることで寄り添い、生きている/生きてきた証明とそれぞれの行動に対しての意味づけをしていく丁寧さ。
そこに今の社会にも転化できるようなリアリティがあり、ちゃんと現代の物語にもなっている。

そしてこの題材を取り上げる意味がちゃんとある登場人物の設定とメッセージ、そこからの社会に対しての問題提起。
改めて恐ろしすぎるほどに完璧で圧巻の作品だった。

いつも社会の犠牲になるのは弱き者である。
でもその弱き者にも物語はあって、それはあらゆる事件の真実を明らかにしないと浮かび上がってこない。
そこにジャーナリズムの意義が見え隠れしていく。

権力によってあらゆるものが消されて、なかったことにされる弱者の人生。
そういう人たちにスポットライトを当てるには、消された真実を明らかにするか、それが無理であれば、できるだけ現実を直視しながらイメージして作り上げていくしかない。

物語としては前者の側面を描きつつ、この作品そのものを作ることは後者の側面を持っている。

時効を迎えていても、過去の事件であっても、報道する意味がちゃんとある。
ただし、主人公の一人である新聞記者の阿久津(小栗旬)は、当初それに気づけていなかった。
死者も奪われたお金もないという報道されてきた一側面だけを見て、その事件を取材する意味を見出せずにいた。

ただし、それを追っていくことで、徐々に見えてくるものがあって、そこには知らずのうちに犠牲になって、命までもを失った人もいて、一人一人の物語がちゃんとあった。

多くの方の人生って多くの関係のない誰かにとっては大体知られていなくて、理解しようと手を尽くさないと大事な部分は見えてこない。

かたやで取材するにも、きっかけがないと前進がしないのも事実。
そこに欠かせない存在としてもう一人の主人公である曽根峻也(星野源)がいた。

彼はそもそも事件のことを知らずに、ずっと生きてきていた。
自らが間接的にでも関わっていたことを知る由もなく、生きられているからこそ幸せな家庭を築く何不自由のない人生を過ごせていたように思う。

事件の犠牲者として生き続けてきた生島家とそことは無縁で生き続けてこれた曽根家。
峻也が初めて真実を知ることによって生まれる彼は悪くないのに抱かざるを得ない生島家への申し訳なさなど、関係のないと感じていた人やもう終わったと考えていた人が真実を知ることで、向き合っていく姿にも触れられていく。

見えて来ない形で犠牲となった人たちの人生を辿ることで、そこに感情移入や共感が生まれる。
ここを置いてけぼりにせずに、ちゃんと描かれていたのが、さすがの野木亜紀子さん脚本だなと感じた。

そしてこれだけのことを描きながらも、加害者含めて人間性のある人間として、それぞれの人柄や思いの部分、さらに核心となる動機にも触れられ、それが実はそれぞれの正義のもとであった点を描いていく展開も素晴らしかった。

誰かにとっての正義が誰かの犠牲になる。それでも社会は変わらないという現実。
そんな正義は本当に正義と言えるのか。
正義を行動に移そうとするときに、巻き込む人のことを考える重要性、正義とはそもそもどうあるべきなのかについて考えさせられる。

このように一つの事件を、様々な観点から描くことで、幾ばくにも示唆されることに広がりと深みが生まれていく傑作だった。

相変わらずの才能と覚悟と努力が見える。
キャストも隅々までしっかりとこだわってるように見えてよかった。

野木亜紀子さん脚本と土井裕泰監督への信頼感が更に高まった作品となりました。

映画『ミッドナイトスワン』感想:凪沙と一果が辿り着いた崇高な愛の境地

f:id:takuro901:20201124183726j:plain

最期の冬、母になりたいと思った。

 

凪沙と一果だったからこそ辿り着けた崇高で唯一無二な愛の境地。
孤独であると感じていたからこそ愛に触れたとき、その人にしか見せない表情が生まれて、それらの積み重ねによって誰もが辿り着けない2人だけの関係性が育まれていく。

どこまでも痛切かつ現実的でありながら、どこまでも美しく愛おしい。
辛くて苦しくてしんどいけど、救いと余韻が残る。
まさに匂いまでをも感じることができた傑作。

無駄に多くを台詞では語らせずに余白を視聴者で埋めていく形になっているのが映画の演出として凄くよいし、普段映画をあまり観ない人のためにも置いてけぼりにならない絶妙な丁寧さとわかりやすさで作られているのもあり、映画好きと普段あまり観ない人どちらもが、満足できる作品となってるのではないだろうか。
ここまで評価が高いのも頷ける。

誰かとでないと踏み出せない一歩がある。
その一歩の積み重ねが自分の奥底で求めている理想の未来。
それは誰かを愛することであり、誰かに愛されることでもある。

愛を諦めていた2人が邂逅し、痛めつけ合うのではなく、慰め合うのでもなく、ただ日常生活を営んでいく中で、徐々に2人だけにしかわかちあえないものができる関係が育まれていく。

それは凪沙と一果だけでなく、一歩踏み込んで仲良くなるそれ以外の関係の中でも広がっていくのもよかった。
特に一果とりんの関係性なんかは本当に素敵だった。

日常の延長線上で繋がっていく登場人物たちを一緒に追いかけていくことで、そういう人と人が織りなす当たり前のように転がっていそうな関係のかけがえなさを、余すことなく感じることができるようになっている。

さらに、その先に自分のことを差し置いて、物凄い痛みを伴いながらでも、誰かのために必死に頑張ることができることの難しさと凄さと美しさが描かれている。
それって並大抵のことではなくて、本当に難しくて色んな壁を乗り越えないといけないことだと思う。

それを言葉で語り合うことなく、見返りを求めず、それぞれがそれぞれに対して、相手のことを考えながら行動していて、こんなに素晴らしいことってそうそうない。

これを愛と言わずして、何を愛と言うんだ。
いやもしかしたら、愛すらをも超えているような気さえしてしまう二者間で築かれていく世界が本当に尊い

しかもこれがあまり作られてる感じがしなくて、ドキュメンタリーよりもドキュメンタリーっぽさを感じた。
そこにある世界で、そこにいる人たちが、実際に生きているような感覚。それを追体験している。

陽の当たらない場所とか狭い世界は、ネガティブなイメージとして捉えられることが多いであろうが、必ずしもそうではない。
それがどのような世界としてそこにあるのかが大事なのであって、逆にそこがあるからこそ生きていける人や救われる人がいるのだ。

多様性が認められてきているものの、LGBTQがまだ「理解しなければならないもの」として現実に蔓延しているのも事実。
それが世の常として、どこでも全くの違和感なく共存できるかというと、話は変わってくる。
同性愛という二者間で完結する世界の中であれば、当人同士だけの問題で済むのだが、社会で生きていくとなるとそんなに簡単なものではないんだなと。

これは『カランコエの花』を鑑賞したときにも思ったことだが、誰もが悪気があるわけではないのに、そういうことではないんだという気持ちが見え隠れするシーンがあって、それが観ていて辛くなる部分もあった。
でもそんな現実とそれゆえの苦悩もしっかりと描かれているから、より多方面に色んなことについての理解を深めることができた。

そして、凪沙が「母になりたい」と女性として生きることを本気で願い、目指しているからこその様々な葛藤が、より奥行きを与えていたように感じる。

とことん人間に向き合って映し出されているかけがえのない一つの世界。
とても大事にしていたい心に残り続ける映画に出会えました。

P.S.
本作の台詞で語らない演出には、キャストの演技の手腕で作品の出来も左右される。
その中で、新境地の役柄ながら表情で細かい感情まで表現し切る草彅剛さんはさすがすぎたのと新人でありながら成長による変化を細かく演じ切る服部樹咲さんに驚かされた!
あとは水川あさみさんの鬼気迫る演技も本当に怖かった。
音楽も全体的にこの世界観を上手に作っていて、色んな要素が全て妥協なくしっかりと繋がってると感じられた。

 

映画『ひとよ』感想:三者三様の考えがぶつかり合った先に…

f:id:takuro901:20201124100155j:plain

壊れた家族は、つながれますか。

虐待が横行していた父を殺した母に対しての三兄妹からのそれぞれの見方、および主観(よく知っている人たちの見方)と客観(全く知らない他人の見方)を程よいバランスで交えながら描いている。
だからこそ一見非現実的な世界に現実味が増し、様々な感情を色んな方面から自分事として享受できるようになっている。
それらに加えて、白石監督作品の象徴ともなってきているバイオレンスも所々に入ってきてる。
重たいけど物凄く堅実で誠実な白石和彌監督らしい映画だなと感じた。

母が父を殺したことに対しての善悪を、様々な方向から考えさせられる。
それは三兄妹や彼ら彼女らを取り巻く環境にいる人たちの考え方や見え方、また似て非なる別の家族を並行で描いているからこそ実現できる思考の幅の広がりである。

兄妹は3名いる必要があるし、それ以外の人や家族たちを描く意味がちゃんとあった。
映画の全てを享受した上で、母の行動は善とも悪ともとることができるが、それらはあくまでその人たちの立場や状況によって決められるということがわかってくる。

殺人に至った理由や思いに正義がありそれを知ったとしても、後先を考えずに行った行動は決して許されるべきものではないという考え。
何がどうあれ家族という関係の上では何でも許し合うことが前提であるという考え。
自分たちを守るために父を殺した母は許す許さないではなく、むしろ感謝するべきであるという考え。
そのどれもに理解を示せてしまうけど、そのどれもに反論の余地はあるようにお互いがぶつかり合っていく三兄妹が観ていてもどかしかった。

それでもぶつかり合っていくことで揺らいでいく心や感情がまた、お互いに同じことを経験した上でぶつかり合ったからこそ生まれるそれで、ラストに向けて家族が繋がっていくように行動や態度が変わっていく。

そこに至るまでが本作の最大の見どころであると思うが、それだけに落とし込まないのがまた凄い。

稲村家だけでなく、それ以外の人たちとの関わりやそれ以外の人たちの家族をも比較として描くことで、色んな家族の主観的に見た善と客観的に見た悪が入り交じり、より多様な人間味を見せられ、より思考が広げられ、徐々に整理されていく。

自分が正しいと思って行ったことやこうするしかないと思って誰かのために行ったことが、それ以外の人からそのままそうと受け取られないのが主観と客観の違いであり、それが現実でもある。

主観と客観をちゃんとお互いで認識合わせをしないと、ただただズレてお互いの溝は深まっていくばかりだ。
痛みを伴うとしても、絶対的に大事なことはしっかり向き合って、お互いで話し合ってどうするかを決めていかないと前に進めないし、本当の繋がりは生まれない。

ただそれができたとしたら繋がることがなかった人たちが繋がる可能性も十分にあるという希望がこの映画には広がっていた。
起こることは自分にとって特別であればいいという救いとともに。

家族が当たり前のようにあると家族の繋がりがどうとか、そういうこと自体も考えることは正直あまりない。
繋がりそれ自体はこのように何かが起こり、お互いが持論をぶつけ合って再度自分を見直し合うことで強固になっていく。

家族だからこそ生まれてくる葛藤や悩みがちゃんと描かれており、ぶつかり合った上でその先に確かなる答えと希望(救い)を与えていく素晴らしい映画でした。

P.S.
やさぐれた佐藤健、吃音で様々な葛藤に揺れる鈴木亮平、気が強く荒々しいけど人たらしで優しい心を持っている松岡茉優
キャストの名演技が最高でした。
松岡茉優万引き家族の役と似て非なる役柄で、これまた改めて凄さを感じた。
蜜蜂と遠雷と様変わりすぎてる。
他脇を固めるキャスト陣ももちろんよかったけど、あそこで大悟はさすがに笑いそうなった。笑
緊迫なシーンでなかなかに気が抜けた。笑
何で大悟がキャスティングされたんやろか。

 

映画『生きちゃった』感想:魂が揺さぶられる圧倒的熱量

f:id:takuro901:20201123221431j:plain

すごく 今でも ずっと

身につまされる思い。
少ない言葉数が本音を口に出せない彼らの世界をそのまま体現し、その理解するのが難しい心情がキャストの表情と演出でじりじりと伝わってきて、心がすり減りそうになる。

「生きちゃった」という思いが、そのまま色んな形でこの映画に乗っかってくる。

愛の言葉を言えない男と聞けない女。
そして愛を感じられなくなることで訪れる末路とそこから起こる悲劇の連鎖。
それでも何もすることのできないもどかしさ。

なぜこんなにも自分の気持ちを言えないのか、愛を伝えられないのか、思いを起こしたり起こした思いに忠実になれないのか。
日本人であるからと告げるその裏側から様々な憶測が脳裏に思い浮かぶ。

そのように真意を作中で明らかにしない点がいくつかあり、そこを鑑賞する側が補っていくことで、グッと感情移入させられる。
そういう意味では、鑑賞者を選ぶ作品であるとも言えるかもしれない。

あのとき自分の気持ちを素直に伝えることができていたら…そんな思いが色んな方向から感じられ、ただただじっと感情を溜め込むことしかできない。

仲野太賀さんが本作において絶妙かつ説得力のある演技だなと感じたのは、厚久の本心の見えなさの表現のうまさだったように感じる。

ラストにやっと思いが溢れたというか隠さなくなれたとも言えるが、それまでの彼の考えていることは確かに本当にわからない。
奈津美を本当に愛していたのか、自分はどうしていきたいのか。
そして感情すらも見えなくてわからない。

奈津美が厚久に対してとる態度やあの決断をすることが、特に悪いことを厚久がしていなくても至極真っ当のように見えてしまう。
武田はその厚久の持つ奈津美に対しての愛を信じていたからこそ、ずっと厚久の味方であったのではと思ったが、観ている側からすると簡単に厚久側には立てない部分もあるし、かといって完全に奈津美側に立てない部分もあって、なかなかに難しい。

あえてかはわからないが、そんな厚久と奈津美の距離感、厚久と武田の距離感、奈津美と武田…それぞれの距離感の作り方が、どちらにも転ぶイメージができるものとしてまた絶妙だったと思う。

また、大島優子さんの鬼気迫る演技も凄い!
圧倒的存在感で苦境を彷徨いながら声なき声を体現していきつつ、母親としての母性をも感じられるキャリアを積み重ねた女優を彷彿とさせるような雰囲気と凄みがあった。

そして、受けに徹しながらもなくてはならない厚久の共鳴者として確かな存在感を見せ、繊細かつ大胆に演じ切る若葉竜也さんもさすが!

脇を固めるキャストも毎熊克哉さんはじめ、安定感が半端なくて、この見応えが作られるのはまさに役者陣の演技あってこそだなと感じた映画でもあった。

なかなか本当のことが言いづらい世の中で、自分の気持ちを押し殺して生きることによる弊害と実はみんなその本当のことを求めているんじゃないかという提起、そして愛と友情を軸とした人間の原点回帰とを、この映画からは感じられた気がする。

映画の出来云々よりも、また別の意味で映画でしか出せない思わず打ちひしがれそうになるくらいの熱量を感じられる作品で、脳裏に焼きついた。

そして、ラストシーンが本当に圧巻!
人間ってあんな感じにもなるんだと思ったくらい初めて見た人間の姿だった。

P.S.
石井裕也監督の撮る作品は結構好きで、他にも色々と鑑賞してきてるけど、本作はそれらの中でも最も映画としてのわかりやすさはないと思った分、作家性や熱が最もむき出しになってる作品だと思った。
キャリアを積んだ方が、こういう映画を撮れるってのは凄い!
わりと採算度外視なんだろうなとも思うし。
91分という短めの尺に凝縮されてるのもよかった!

【映画】閉鎖病棟 -それぞれの朝- 〜何かしらの事情を抱えた人にとっての楽園〜

f:id:takuro901:20191210092847j:image

閉鎖病棟 -それぞれの朝-

その優しさを、あなたは咎めますか?

重たくて苦しかった。
何も悪いことをしてなくても、ただ健全に生きることができているだけで、後ろめたさや申し訳なさを感じてしまうほどにきつかった。

何かしらの事情を抱えていない人が存在しない閉鎖病棟
誰もが何かしらの事情を抱えて、そこ以外では生きることが難しい。
閉鎖された空間の中にしか居場所を見つけることができない人たちにとって閉鎖病棟は楽園である。

でもそんな楽園の中でも救いようのないことは起こってしまうことがある。
どんな世界にも弱者は存在して、自分だけではコントロールすることができない第三者からの容赦ない理不尽を受けることもある。

それでも人は生きていく。
生きていくしかない。
何のために生きているのかがわからなくても。

生きていたら何か希望があるかもしれない。
何かを見つけられるかもしれない。
人生が好転するかもしれない。
少なくとも今よりはマシな人生を送ることができるかもしれない。

由紀(小松菜奈)を見ているのが本当に辛かったけど、彼女の強さに物凄く感化されるものもあった。
どうしても映画の中の世界なので、現実世界とリンクさせるのは難しいかもしれないけど、生きることに対して後ろ向きになってしまっている人には、ぜひ由紀の姿を目に焼き付けて欲しいと思った。

自分の味方がいない、理解してくれる人がいないときに、同じような境遇の人たちで居場所を作っていくことによって、それだけで楽園になりそこで出会う人たちと生活を共にすることで、何でも相談ができる家族のような関係になっていける。
そしてそれが生きる希望になる。

そんな世界がこの映画には広がっている。
着飾ることもしなくていい。
ありのままの自分を出して関わり合える環境があることが、どれだけ尊いことなのかがわかる。
だからこそやっと掴んだそんな環境を理不尽に壊す人は許すことができない。

そこであの選択をとった秀丸笑福亭鶴瓶)には例え何があってもその選択が許されるわけがないが、一方的に頭ごなしに責めることもやっぱりできない。
そこに言葉にはし尽くすことができない人としての正しい言行とは何かを突きつけられ、様々な側面から考えさせられる。
でも簡単に答えは出すことができない。

答えを出すことができない理由は色々あるが、その一つには(話を秀丸の行った行為についての是非を問う形に落とし込むところに主眼を当てるとしたら、)重宗(渋川清彦)の背景の描写がどうしても足りない(弱い)ことが挙げられる。
ただただ暴力的な人という描写は何とも浅はかで、もっと深く描くべきものがあったはず。
そこが描かれないと秀丸のあの行動の是非を、第三者から同じ目線で考えることができない。

だから本作は、どんな人にも居場所があって希望を持ちながら少しでも前向きに生きることができる可能性を噛み締める作品として捉える方がよいのではないかなと個人的には思った。

どんな人でも誰かにとっての希望や救いになることがあって、それが生きている意味に繋がることがある。
だからそうやって関わり合っていける人や場所との出会いを、探し続けることこそが本当に大事だと感じた。
もちろんその数を増やすことも大事。

それぞれが影響を与えることができる範囲は限られている。
でもそれぞれがそれぞれの範囲で関わり合って生きていけたらそれだけでも十分。
そんなことを思うことができた。

ただ、そこを主眼に考えるとしても、それならもっと彼ら彼女らの絆に焦点を当てて描いて欲しかったし、それを強固にした軸でもっとわかりやすく強い救いや希望が欲しかった感はどうしてもあった。

限られた時間の中で、あらゆるものを並列して表そうとしたがゆえに、一つ一つの重要でセンシティブなテーマとメッセージを表現する背景の描写が物足りなくて、そこがやや残念な部分としてはあったかなと思う。
題材が題材なだけに、どうしても丁寧に描いて欲しかったけど、浅はかになっている部分があってそこが気になった。

でも全体的には考えさせられるものが比較的多い作品なので、それぞれの立場に立ちながら自分の解釈を入れて鑑賞していくことをおすすめします。

P.S.
そもそもここまでの重みを感じたのは、キャストそれぞれの演技が物凄くリアルだったから。
特に小松菜奈の演技が凄かった。
うまく言葉にはできないけど、彼女にしか出せないものって本当にある気がする。上手い下手というよりもただただリアル。
もちろん笑福亭鶴瓶綾野剛、それ以外のキャストもよかった。
笑福亭鶴瓶の細かい所作や表情が本当に繊細で、これも彼にしか作れないものなんじゃないかと。
綾野剛は楽園と役柄が似ているがなり切れてるのがやっぱり凄い!
それでも、生きていくというタイトルがハマる作品でもあった。